実は「滝澤 翼」になってからまだ20年ほどです。
- 2018年1月19日
- 店主の日常
ちわっす。
福岡のもつ鍋「赤門屋」の2代目店主
タキツバこと滝澤 翼 です。
とブログの冒頭は毎回このように自己紹介をさせて頂いているのですが、この「滝澤 翼」という名前。
あ、間違えたこっちだった。
名前は両親からの最初の贈り物とはよく言いますが、この名前にしてくれたことを心の底から感謝しております。だって滝澤 翼ですよ(笑)
私は赤門屋で働く前に約5年ほど会社員をやっており、営業の仕事に就かせてもらっていたのですが、やっぱり名前を覚えてもらえるってのはとてつもないアドバンテージになることを、身をもって感じているのです(笑)
実はTOO SHY SHY BOY な私にとって、名前だけでトークのつかみになるということが、どれだけ助けとなっていることか。36歳となったいまでも、お客さんとのコミュニケーションを取る際は、この名前に頼っている部分が非常に大きいです。
中には初めて来てくださるのに、なぜか私の名前だけはご存知頂いているお客さんもいたりして(笑)ご紹介してくださった方が、面白がって私のことまで伝えてくれているんでしょうね。本当にありがたい話です。
でもこの超お気に入りの名前も、高校生の時はすごく大きなコンプレックスの一つでした。そもそも私がタキツバになったのは高校生の時なんですね。母の再婚相手(赤門屋の創業者ね)が「滝澤」だったので、私は滝澤 翼という名前になったんです。それまでは「溝脇 翼」というツッコミようのない名前でした(笑)
別にやましいことなんて一つもないんですが、名前が変わることを高校生の時の自意識高めのツバサ君はすごく気にしてたんですね。なので学校側と相談して、在学中は「溝脇 翼」という名前で通しましょうと。そういった配慮をしてもらったのです。と言っても落とした生徒手帳を友人に見られ、すぐにバレたんですけどね(笑)それでも結局卒業まで旧姓のままでいきました。別に友人にもなーんにも聞かれなかったしね。
そんな感じで学生時代はただ名前が変わっただけで、その後名前からどれだけの恩恵を受けるかなんて知る由もなかったというわけです(笑)調べてみるとタッキー&翼が結成されたのが2002年なので私が21歳の時かな。22歳の時に就職するので、名前の恩恵を受け始めるのはやはり社会人となってから。私にとってはこの名前はなくてはならないものとなったのです(笑)
名前は両親が一生懸命気持ちを込めて我が子に贈る贈り物。これからの我が子の人生に思いを馳せながら、あれやこれやと全力で悩みに悩んで付けるものです。私も一応父親です。その気持ちはとってもわかる( ^ω^ )だから自分にとってその名前であることで恩恵を受けているから、自分の名前が好きだっていうわけではないけども。たくさんの人に親しみを持って呼んで頂けるこの名前が、私はとっても大好きです。
これからまた自分にも、そうやって悩む機会が来るといいなぁ。
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