【完結篇】なぜ私は家業を継ごうと思ったのか【これが私の生きる道】

 

 

ちわっす。タキツバです。

 

 

 

なぜ、この仕事をしているのか?

 

 

 

このテーマで前々回から

ブログを書いています。

 

 

 

【前篇】なぜ私は家業を継ごうと思ったのか【夢ってなあに?】

【後篇】なぜ私は家業を継ごうと思ったのか【給料泥棒時代】

 

 

 

今回でついに完結!

する予定です(汗)

最後までお付き合い頂けると

すごく嬉しいです。

 

 

 

さて続きです。

東京から逃げるようにして

福岡に帰ってきたタキツバ。

 

 

 

とりあえず始めてみた仕事も

地道な努力を怠ってきた私は

すっかり飽きてしまい

営業成績も散々・・・。

 

 

 

いつクビになっても

仕方のないような状況で

働き初めて4年半が過ぎようと

していました。

 

 

 

2008年の6月くらいだったかな。

当時母が店主を務めていた赤門屋に

ピンチが訪れるんです。

 

 

 

長く勤めて頂いていた当時の従業員が

諸事情により退職されることになるんです。

手が足りなくなるということで

私に助けを求める声が届きました。

 

 

 

しかし。

手が足りないという理由は

もちろんあったと思います。

しかし一番は母自身が

疲弊しきっていたんです。

 

 

 

もともと母は先頭にたって

チームを引っ張るような

性格の人間ではないんです。

 

 

 

実際に本人の口から

本当は経営者なんて

やりたかったわけではない、

自分がやるしかなかったから

やっているだけだ、

と聞いたこともあります。

 

 

 

しかし父が亡くなってしまった

1998年から約10年間。

心身ともにすり減らしながら

必死にお店を守ってきた母には

限界が目の前まで迫ってきてたんです。

 

 

 

人付き合いもそれほど得意ではない母は

誰かに頼るわけでもなく、ただひたすら

家族を守るために、ただただ必死に

赤門屋を守ってきたんです。

 

 

 

色んな苦難もあったと思います。

そのひとつが牛海綿状脳症問題。

通称BSE問題です。

風評被害によりお客さんが

激減してしまったと聞いてます。

 

 

 

きっと不安で仕方なかったことでしょう。

どうしたらいいのかわからず

誰かに相談することも出来ず

ひたすら耐えに耐えて

我慢をしたのではないかと思います。

 

 

 

母がそんな想いをしている時

私は東京で何も考えずに

のんきに生きていました・・・。

母が送ってくれる仕送りを

当たり前のように使っていました。

どんな想いでそのお金を

稼いでいるのかも考えず。

 

 

 

そんな母ももう限界だったんです。

と同時に体も悲鳴をあげていました。

長年の立ち仕事がたたり

すっかり膝を悪くしてしまった母。

立っているだけで激痛が走る膝を抱え

母は本気で赤門屋を閉めることを

考えたことがあるそうです。

(※今ではダイエットにも成功し、

膝もだいぶ回復したようで、

赤門屋を縁の下で支えてくれてます。)

 

 

 

そして息子に助けを求める母。

よっしゃ任せとけ!とついに

お店に入る決意をする息子。

そんな話なら良い話だね!となりますが

この時の自分は全く違う事を考えていました。

 

 

 

とにかく今の仕事から

逃げ出したかった。

その一心でした。

でも自分からその一歩を

踏み出すことすら出来なかったんです。

 

 

 

だから母から相談を受けた時

それを逃げ出すための口実にしか

思っていなかったんです。

これは母への甘え以外の

なにものでもありません。

 

 

 

このブログの【前篇】の冒頭で

なぜ、この仕事をしているのか?

という問いに対し私は

そうするしかなかったからです。

と答えました。

 

 

 

しかしこれやっぱり却下!(笑)

もう一度答えます。

 

 

 

なぜ、この仕事をしているのか?

 

 

 

その答えは・・・。

赤門屋を続けることが、

私の使命だから

 

 

 

不純な動機で

赤門屋で働き始めた私。

最初はただひたすら日々の業務を

こなすだけの日々でしたが

1年も経たないうちに自分の中で

気持ちが変わっていくのを感じていました。

 

 

 

こりゃあ本気出さないと

まずいぞオレ(笑)

 

 

 

毎日最前線に立って

沢山のお客様と顔を合わせ、

そして皆さんの赤門屋への想い、

それに触れることで赤門屋が

どれだけの想いが詰まったお店なのか、

どれだけの人に支えられてここまで

営業を続けてきたのか。

 

 

 

赤門屋が30年以上積み上げてきたものの

大きさに気付いた時に、それを守ることが

これから自分が生涯をかけて

やっていくことなんだなと

自然と思えるようになってきました。

赤門屋を愛してくれるスタッフや

お客さんの気持ちを考えると

半端なままの自分ではダメだと。

 

 

 

今でもきつい時はきついと言うし

つらい時はすぐ投げだすし(笑)

まぁ相変わらずの自分ではありますが

それでも自分なりに赤門屋を

もっともっと素敵なお店に出来るように

守るべき部分はしっかりと守り

自分らしさも出していきながら

沢山のスタッフやお客様に支えられ

なんとかやってます。

 

 

 

「やらされている仕事」から

「自らやる仕事」に変わったことで

とにかく日々楽しくやらせて頂いてます。

すべてはこんな素晴らしい環境を

私に与えてくれた両親がいたからです。

本当にありがとうございます。

 

 

 

今、自分の好きにさせてもらっている。

これが当たり前だと勘違いしないよう

しっかり地に足を付けてこれからも

赤門屋を守っていこうと思ってます。

 

 

 

勉強、部活、ギター、

その他もろもろ(笑)

何一つ続かなかった私も

赤門屋だけは絶対に

死守してみせます!

 

 

 

長くなってしまいましたが

なぜ、この仕事をしているのか。

 

 

 

これが私の使命だから

 

 

 

ということで締めさせて

頂こうと思います。

最後まで読んで頂き本当に

ありがとうございました。

 

 

 

今後とも赤門屋を、

そして滝澤 翼を

よろしくお願いします!

 

 

 

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